沖縄

旧海軍司令部壕|強烈な印象を残す戦争遺跡。見どころや料金、アクセス、感想など紹介。

沖縄県豊見城市の海軍壕公園内にある【旧海軍司壕(かいぐんしれいぶごう)】。第2次世界対戦沖縄戦の最中「海軍司令部基地」として構築されたこの壕は、激しい戦闘の末、日本海軍が組織的戦闘の終焉を迎えた場所。ほぼ当時のまま残されている歴史的にも貴重な施設。

旧海軍司令部壕とは?

旧海軍司令部壕は豊見城市の海軍壕公園内にある防空壕。激しい戦闘の末追い詰められた日本海軍が自決という方法で終焉を迎えた悲劇の場所。壕内はとて全長300mと広く、手掘りで掘った跡、手榴弾で自決した弾痕跡、司令長官が壁に書き残した文字など、当時のまま生々しく残っており、平和とは何かを真剣に考えさせられる貴重な施設。

旧海軍司令部壕のみどころは?

入り口

▼美しい祭壇と地下壕に続く階段▼
旧海軍司令部壕

美しいエントランスの祭壇と壕に続く階段が現れる。ここはまだ明るく美しい雰囲気だが、階段を降りていくとだんだん重苦しい雰囲気になっていく。

地下壕への階段

▼地下壕へと続く長い階段。階段は105段。▼
旧海軍司令部壕

壕に続く長い長い階段。下に進む程どんどん湿度が高くなっていき重苦しい雰囲気になっていく。急階段では無いが、長い階段なので歩きやすい靴で来ることがオススメ。

地下壕廊下

▼つるはしで掘って作った跡が良くわかる。▼
海軍壕

旧海軍司令部壕は1944年に日本海軍山根部隊3000名によりつるはし等で手掘りで掘られた300m続く長い壕。敵軍からの攻撃に耐えならがここで持久戦を続けた。

自決部屋

▼手榴弾で自決した跡が生々しく残る▼
旧海軍司令部壕

壕内は湿度が高く、大勢の人が収容されていた。敵軍が上陸してからは戦況が激化し、死者や病人が多く出た。湿気が多く、酸素も薄い壕内で、遺体と同じ壕で過ごす人も少なくなかった。敗色濃厚になり、追い詰められ、希望を失った司令官が自決した跡が生々しく残る部屋。

辞世の句が残る「司令官室」

▼司令官 大田實少将の「司令官室」▼
海軍壕

旧海軍司令部の司令官 大田實少将の司令官室。壁には「大君の御はたのもとに死してこそ人と生まれし甲斐ぞありけり(天皇陛下のために戦い死ぬことができれば、日本人として生まれてきた甲斐がある)」という、大田司令官の辞世の句が残されている。

資料館

▼丸印が日本、☆印が米軍の被害▼
資料館

壕内ではなく、チケット売り場の近くに資料館。遺留品や写真、書物など様々な資料が展示されている。中には痛ましい写真も展示されているのでお子様連れには配慮が必要。上の図は日本とアメリカの被害比較図。いかにアメリカの軍力が強大であったかを示している。

基本情報と料金、駐車場情報

基本情報

名称 旧海軍司令部壕
ジャンル 防空壕
住所 沖縄県豊見城市豊見城236
電話番号 098-850-4055
料金情報 大人450円 小人230円
  大人400円 小人200円(団体)
営業時間 8:30〜17:00(10月〜6月)/8:30〜17:30(7月〜9月)
定休日 無休
アクセス 那覇空港から車で15分
  バス55、88、98番「宇栄原団地前」下車
ゆいレール奥武山公園駅 徒歩約20分
駐車場 あり。無料100台

旧海軍司令部壕の感想

資料館の写真は目を背けたくなるような痛ましい物も数点があり、苦手な方や、お子様などには厳しいかもしれない。さらに高湿度で感じたことのないような重苦しい雰囲気が漂う壕内はやや薄暗く、大人でも少々恐怖心を感じた。しかしこれまで様々な戦争遺構に訪れてきたが、ここの雰囲気は独特で、名状し難い強烈な印象を受けた。訪れたことのない人は是非ここに足を運び、自分の肌で感じてほしい。改めて戦争の愚かさや平和について考えさせられる素晴らしい施設である。

▼独特の空気が漂う。訪れて肌で感じてほしい▼
旧海軍司令部壕 旧海軍司令部壕